ヨガの先生
ヨガを始めたのは20代初めの頃。
「痩せるかな〜」と期待しながら、
当時、同居していた妹と一緒に通ったものでした。
その延長線上に、今お世話になっているヨガの先生との出会いがありました。
きっかけは、夫の転勤で移り住んだ福岡で見つけたヨガ教室。
心が深く落ち着いてホッとできる時間を求めて
福岡を離れるまでの3年間お世話になりました。
福岡最後の年、先生が
「ヨガのアーサナ(ポーズ)を学ぶだけでなくて、
どうしてヨガをするのか?という根本的なことを
学ぶ機会を作っていきたいと思っている」とおっしゃり、とても興味を持ちました。
10代の頃から、
「学校では教わらない、本質的な物事の真理を知りたい」
「何のために人は生きて、死んでいくのか知りたい」
という欲求が絶え間なくあり続けていました。
表には出さなかったけど(笑)
どういう訳か、それは抑えきれない欲求でした。
先生の言葉から、その勉強会には
真理を知るための手がかりがあると感じたのかもしれません。
大変お忙しい先生に向かって、
「私が東京に戻る前に、ぜひ一度でも開催してください」と
図々しくも、(でも真剣に)お願いしたところ、
本当にありがたいことに
予定よりも前倒しして、勉強会が始まることになりました。
あれから早3年以上が過ぎました。
私が福岡を離れた後も、勉強会は毎月開催されています。
その間も、先生は録音を送り続けてくださいました。
丁寧に綴られた手書きのお手紙も添えて。
録音を聴いた後、
感想文を書いて、USBを返すというやりとりが、
もう30回以上も続いています。
勉強会を重ねるごとに見えてきたヨガの世界は、
宇宙や生命がどのように生まれてきたのか、
私たちの体を構成しているものの正体や、
心の働きの成り立ちや夢と現実の関係などなど、
「頭では理解できるけど、実感するのは難しい世界」の話ばかりでした。
初めは「ふ〜ん、そういうものかもしれないな」ぐらいの理解度です(笑)
けれども、様々な例え話を混ぜながら
先生がお話しして下さる度に、
少しつづ、世界観が変化していくのがわかりました。
それは、ヒーリングの世界ともつながっていて、それぞれを深めれば深めるほど、私の中に、学びの実感が増えていきました。
また、
参加者の人たちの声も聞くことで、
自分が気づかなかった新しい視点が生まれたり、理解が深まっていくこと、
ふとした瞬間に出てくる、
予期もしていなかった脱線話ほど、
心に響くものなんだなぁと感じています。
そんなステキな勉強会で、
最近、先生が
「どーしても心に引っかかっていたことがあるのでそこをクリアにしたい」とおっしゃいました。
それは、
「先生という呼び方をやめましょう」ということでした。
参加者一人一人が
真理を求めて学び合う仲間であり、
先生も例外ではなく、
勉強会を通して改めて心を正したり、
新しい視点に気付いたりすることがあるのだそうです。
そして、誰もが「アートマン(真実在)」だから、
先生と生徒という関係に違和感があり続けたということでした。
そう言われてみると、
私の中で微かな抵抗感とともに、
「先生」という存在に依存するような
心持ちがあったことに気づきました。
それは
「先生が言われたことをきちんと聞いて理解さえすればいい、
先生が言われたことが全て正しく、
長い学校教育の中で、「先生」に対して刷り込まれた意識を再認識したのです。
このタイミングで、ヨガの先生はこの「先生」をあっさり降りてしまいました。
勉強会の主宰者であり、進行役だというのです。
ある意味、
本当の学びの場がこれから始まるのかもしれないと予感しています。
「先生と生徒」
「親と子」
「上司と部下」
世の中には様々な関係性が溢れているけれど、本質的には皆、内側に「アートマン」宇宙の根源的なエネルギーを持つ存在。
夫も、子どもも、会社の上司もみんなです。本来の関係性は、後から作られたものに過ぎません。
自分に覆いかぶさる、さまざまなベールを外して、
そうした角度から純粋に周りを見るこきたなら、見えてくる人間関係、そして世界そのものが、随分と変わりそうですね。
勉強会は、時代の流れの中、zoomで開催されることになりました。
これから、
1人の自立した参加者として、
ヨガの世界を探求し深めていきたいと思っています。
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