知っているようで知らなかった自分のこと

あなたはどんな人ですか?と聞かれたとき、大体の特徴とか、長所とか、短所とかは自分でわかっているつもりでした。就活では、イヤというほど自己分析をしたし、人から指摘されたり、自分で感じたりしながら、内側を見てきたからです。
けれども、人から言われても、認めていない部分があるものだということに最近、気がつきました。
少し前に
「子供の気持ちがよく分かるから、大人と子供の緩衝材のような人だね」と言われたことが始まりです。
その時、荷物の中に入っているあのプチプチが思い出されて、(私はプチプチか〜)と爆笑して終わってしまいました。正直、それほど納得感がありませんでした。
けれども、今認めてみようという感覚が出てきました。

考えてみれば昔から子供の気持ちを理解するのは得意だった様な気がしてきたのです。
中学生のとき行った保育実習や、息子の保育園の公開日の時などは、子供の気持ちになって遊んだため、まるで人気者でした。
最近も、ギャングエイジの小学生男子数名をまとめる役目があったのですが、子供の気持ちになってやったためか、息子に「ママのまとめ方、あれは良かった」とめずらしく褒められました。

一方でそんな自分を認めたくない部分もある気がしました。
昔、出産を機に仕事を辞める時、上司から「子育てに向いてると思うよ」という言葉をもらったものの、何となく自分は無価値だといわれた感じがして、気持ちが凹んだことがありました。

ここで、子供の気持ちを理解できるということを肯定的に認めてみようと思います。
思えば今の幼児教室の仕事でも、いつも子供の気持ちを読み取って、それをお母さん達に伝えている自分が多くいました。

この部分を認めることで、私の自己肯定感も少し上がるのでしょうか?
しばらく実感してみようと思います。

🎼本当の音色

ありのままの自分を認めて 本当の音色を自由に奏でる世界へ

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