出会いの儚さ
今こうして
誰かと
関わっていることは
とても意味があり
尊いもので、
すごく儚いものだなと
思うことがありました。
家族
職場や学校
当たり前のように
毎日顔を合わせていても
何かのタイミングで環境が変われば
途端に合わなくなってしまう事は
実はよくあるのかもしれません。
幼児教室で
3歳児クラスから3年間
ずっと担当している
クラスがありました。
個性的で
前向きなエネルギーに溢れていて
とっても素敵なクラスでした。
ところが今年の初め
配置換えがあり、
そのクラスを外れてしまいました。
「1番好きな先生、バイバイ!」
なんて
めちゃくちゃ可愛い事を
言ってくれたレッスンが最後となり
配置換えを知ったとき
正直とても悲しくて
泣きたくなるような
残念な気持ちになりました。
クラスが変わってしまった今、
時々クラスの様子を聞く事はあっても
直接会う機会はありません。
彼らが小学生になり
教室を離れれば
ますます会うこともないでしょう。
別れてみてはじめて
会えていたことの
重みを感じます。
でも考えてみれば
家族か親戚以外で
定期的にずーっと
会い続けている人なんて
そもそも
数えるほどしか
いないかもしれません。
尊敬する人
嫌いな人
めんどくさい人
気が合う人
苦手な人
見回せば周りには
本当に色んな人がいるけれど
大抵はいつか
会わなくなる日がやってきます。
だから、
限られた時間の中で
今このタイミングで
この人と
出会っているというのは、
何かしらの
意味のある事なのかもしれません。
幼児教室の子供たちとの時間も
たった三年だったけど、
私は彼から
本当にたくさんの
気づきを得ました。
同じ空間のなかで
互いにさまざまな
感情や感覚を共有しながら
同じ時を過ごす事は
ただそれだけでも
さまざまな刺激があり
何かしらの学びが起きる
機会なのでしょう。
しかもその刺激は
出会う人、集まった人達によって
全く違うものになります。
そんな風に捉えた時
どんなにめんどくさいなと
思う人でさえも(笑)
スペシャルな存在に
感じられてくるから不思議です。
先輩の講師や
生徒さんのママや子どもたち。
本当に毎日毎日
色んな出会いがあるけれど、
出会いの儚さを感じながら
その意味も
大切に受け取っていきたいと
思っています。
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