情報の激流の中で

昨日は日本新聞博物館と
横浜開港記念館に行ってきました。

横浜は日本で初めて
日刊新聞が発行された
場所だそうです。

まるで学生の社会科見学ですが、
思った以上に面白かったですよ(笑)

新聞博物館で新聞の移り変わりを
知るのは興味深かったけど、

何より圧倒されたのは
紀元前から現代に至るまで
人々が触れる情報量が
一目瞭然に映像で示された
情報のタイムトンネルでした。

(その様子はこちらから伝わるかな)

紀元前1000年から現代までの

長い歴史の中で
紙が発明されたり
印刷技術や、
ラジオやテレビが発展する度に
情報量は増えていきます。

ところがこの数年は
これまでとは比べ物にならないくらい
爆発的に増加していることを
体感することができました。

情報を水の流れに例えるならば、
紀元前はポタポタと
木々の間から溢れ落ちる程度の水滴、
徐々に小川の流れになり、
この数年は、
ナイアガラの滝のような!
かつてないほどの
急速な爆発ぶりで示されていました。


インターネットの普及と発展は
ここまで情報量を変えたのかと
改めて驚いてしまいました。


こうした情報の激流は
私たちの意識に
どんな影響を与えているのでしょう。

同じ思いに共感したり
新しい発想や考え方に触れたり
SNSによって人と人が
繋がる機会が増え、

新しい変化が起きやすい状況
なのかもしれません。

そう考えると、
実現したいと思ったことが
形になりやすい世界
なのかもしれませんね。


「新しい世の中になる」

「時代が大きく変化していく」と言われるのも

当然のことのように思てきます。


また人々の意識に入ってくる
刺激は多種多様となり、
どんな情報を受け取るかで
見えてくる世界がますます
変わっているようにも感じます。

一方
情報の激流に身を置く中で、
少し間違えれば
この流れに飲み込まれ、
自分自身を失ってしまう
危うさも感じました。

この激流の中を

一体どのように溺れないで

泳いでいけば良いのでしょう。

もしかしたら

情報に対して本当にそうかな?と

自分なりに疑ってみる
習慣が必要なのかもしれません。

情報は切り取られた時点で
何かしらの偏りが
生じてしまうものです。
発信する人の意図が
少なからずのっています。

だから、

どの視点、立場から

切り取られたものなのかと
検証してみる力が
必要なのかも知れません。

不安や恐れに流されず
本質的なもの見極める
感覚が必要なのかもしれません。

あるいは、
激流の外に出て

冷静に眺めてみる視点が 

必要なのかもしれません。

いづれにせよ、
かつてないほどの
激流の中にいるということを
意識に留めておくことで、

漫然と流されないための立ち位置を
養ってきいたいと思った体験でした。







🎼本当の音色

ありのままの自分を認めて 本当の音色を自由に奏でる世界へ

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